昔、ゲームを好きだった友人が
「いつまでもゲームしてたら時間がもったいないよ」
とか言い始めたことがあって、
「いやいやお前こっち側の人間だろ」
とか突っ込んでいたんですが、いつの間にかユニクロでバイトを始めるとか、今で言うリア充に方針転換した事件があって、
その点、私はマリオカートで高みを目指し合った友人がゲームをやらなくなっても、初代バイオハザードのナイフ縛りプレイでタイラントに挑んだ友人がゲームをやらなくなろうとも、振り返らず、ずっとゲームをやり続ける人生を選んできまして、「もうゲームしかないな」と振り切れている人間なので、その素晴らしさを分かって欲しいと思うわけです。
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ゲームピコピコ問題
テレビや新聞が一概にゲームに批判的なのは「公共性」という属性のせいで、ゲームの目的はボタンを連打するだけ、0か1しかないプログラム上での出来事に過ぎず、実生活の役に立たなさそうな行為であり、つまり
「ピコピコやって遊んでんでしょ」と
仮に、ボタンAを押すとピコ、ボタンBを押すとポコ、ボタンCを押すとブルンという音が鳴り、それに合わせてテレビ画面でピコがポコし、ブルルンボヨンするだけの娯楽があって、一日中それをしている人がいたら私も言いますよ
やめとけと
そしてそれが爆発的に流行して、ヒッポクラテスブルン2の発売日には長蛇の列ができて、連日メディアに取り上げられて、YouTubeの動画再生回数が1億回を突破し、芸能人がこぞってインスタグラムに取り上げ始めると、
「いよいよ日本ヤバいな」
と義憤にかられて読者の声欄に投稿を始めますが、
ゲームってそんなんじゃないですからね。
他の娯楽産業と同じ、体験性と創造性のあるエンターテイメントを提供して人生を豊かにしてくれるわけで、テーマパークとか映画との内容の違いといったら、外に出なくていいぐらい、
あとは、面白すぎるぐらいですか?
ゲームは娯楽で、今の時点では、社会を揺るがすような緊急事態の助けにならないというのは間違いなく、その点、テレビや、本、映画などは、娯楽でありながら災害時には情報発信をして人助けに役に立ったり、社会の転換点に主義主張を啓蒙したりとか、人命を左右するような凄い公共性があって、
権威を重んじる新聞やテレビがゲームに批判的になるのは仕方ないことだと思うんですが、
あとは、テレビが普及し始めた時代にはテレビが批判の対象とされるように、新しい産業には全く触れたことのない年配の人、有識者みたいな人にとっては理解できず、スケープゴートにされやすいということもあって、
でも、今のPS4を見ると、WIFIの繋がりやすさ、ナスネの高性能さ、バックグラウンドでデータを処理する力とか、勝手にゲーム画面録画してるとか、ワイヤレスコントローラーにマイクとイヤホンジャックがついてるとか、信じられないくらい高性能で、あと数世代先には、ハードの進化でゲーム機が生活必需品にまで高められる、そんな素晴らしい公共性を獲得する時代が来るはずですが、それはさておき、
問題は、中身を勘違いしたまま悪い所を強調して、ゲームは悪というイメージを広めてしまうことですよね。
ちゃんと今のゲームを見て、悪い所だけを抜き出して、それらしく伝えるのではなくて、素晴らしい所を取り上げて欲しいなと思うわけです。
それもこれも、ゲームイコール「ピコピコ」というイメージがいけないと思い
「昔のゲームでもそんなピコピコしてないだろ」
と思い立ちYouTubeで「スパルタンエックス」の動画を見てみたんですが
かなりピコピコいってますね
ゲームと子育て
ゲームをやると子供の成長に悪い影響があるという話はよく聞く話で、主なところは目が悪くなる、運動しなくなる、勉強しなくなる、未発達な脳でゲームをすると暴力的になる、現実とゲームの区別がなくなるという主張ですよね。
私も親となった今「子供にゲームを与えるか」という問題を本気で考えてみたわけですが、
適度に与えるのがよいという結論にたどり着きました。
なんでかといいますと、ゲームが他の遊びと違う点は「没入感」という点にあって、コントローラーで主人公を直接操作し、何かを達成することで、他の遊びでは得られない深い感動を得られる所にあって、
つまり、めちゃくちゃ面白いわけです。
ゲームもスマホも、人類の情報通信技術の一つの到達点で、それを否定して生活することはできないし、そういう人は洗濯板と氷室で生活しなければいけないわけですが、
今のご時世、そんな、めちゃくちゃ面白いゲームを子供から隔離することはできないですし、仮に家から完璧に排除したとしても、友達であったり、学校であったり、あらゆる情報にさらされている今の子供にとって親に隠れ、いくらでも触れることができます。
よって完全に禁止するのは逆効果で、子供にとってゲームの危ない点を意識して、親がしっかりと見てあげることが必要なんです。
危ない点とういのは、
のめりこんでしまう性格の子供に、無制限にやらせるのは良くない
ということです。
大人でも、ゲームにはまりすぎて、引きこもってしまう人がいるくらいですからね。
ゲームが子育てにいい所
子育てで「認知能力」と「非認知能力」という考え方があって、IQや学校の勉強で獲得できる頭の良さが「認知能力」、それ以外の、自制心、忍耐力、やり抜く力、協調性、調整力、創造力といった、数値で出すことができない生きる力を「非認知能力」といって、
その力が高いほど将来の年収が高いというアメリカの研究があります。
ウォルト・ディズニーや松下幸之助のような成功者は必ず数々の挫折を経験していて、社会的成功のために、勉強も大事ですが、それ以外の力「非認知能力」も重要というのは、誰もが共感するところだと思います。
子供の頃から非認知能力を鍛えるには、意欲や関心を持たせる、粘り強く取り組む、創造力をもって取り組んで何かを達成することが必要で、
ゲームは、まさに自分で考え、工夫して、協力して達成したり、感動を得る、非認知能力を鍛えるのに凄くいいわけです。
当然、絵を描くとかクリエイティブな製作をしたり、はだしでキャンプを体験したり、ペットの世話をするとか、色々な方法があると思いますが。
どうコントロールしたらいいか
ゲームをやらせるにあたっての最大の悩みは、どう適度に与えるかということですよね。
一日一時間とか約束しても、面白ければ子供はやりすぎてしまうのは当然で、大人もずっと見てることはできない。
また、子供が静かにしてくれるなら、ついつい何時間もやらせてしまうということになると思います。そこで、
子供にゲームをやらせる時は、一緒にゲーム実況プレイを配信する
マインクラフトとか、ドラゴンクエストビルダーズとか、親子で楽しめるゲームが多い良い時代になりました。
今のゲームはSNS対策が完璧にされていますから、敷居が凄く低く、誰でもすぐ始めらる。
ゲームの動画が公開されると考えたら、親は緊張感をもってできますし、モチベーションが上がりますよね、子供も本気の親とあれこれ言いながらゲームができたら凄く楽しい。
もちろん公開は動画と音声だけでもいいですし、公開範囲は田舎の両親だけでもいい。
ゲーム配信を通じて、楽しむのと同時に、人前に晒され声を出す経験、物事に取り組む主体性、スマホ時代に必須なネットリテラシーを培うことができますし、何より親が、親にそんな人前に立つ勇気がありますか?ということが試されます。
新しいことを始めるのはもの凄いエネルギーが必要で、言い訳ばかりで浪費してしまうのが人生ですが、どんなコンテンツを使っても、教育方法でも、子供は親の背中を見て育つもので、
ただ子供がゲームをするということだけを通じて、
「お父さんも、お母さんも、常に新しいことにチャレンジしてるんだよ」
と、堂々と子供に手本を示せる絶好の機会とすることができるのではないでしょうか。
ゲームを毒とするも薬とするも親次第ですね。
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